| |
| 「サンダーバード」の生みの親、総製作指揮のジェリー・アンダーソンは、1929年4月14日、ロンドンのハムステッド生まれ。 技術学校で石膏工芸を学んだが、石灰にアレルギーを持っていたとわかり、映画セット用の模型を作る夢を断念したという。 スチール写真技師として、働き始めたジェリーはどうしても映画産業で働きたくなり、英国情報省に属するフィルム製作現場に見習として参加した。 その後、独立系フィルムメーカーの「ゲーンズボロ・ピクチャーズ」に入社したが、1947年に英国空軍に徴兵され、航空管制の無線交換手を担当した。 2年後に兵役を終えたジェリーは、数社の映画製作会社を経て、劇場上映用のCMフィルムやドキュメンタリーを制作する「ポリテクニック・スタジオ」に入社する。そこで多くの仲間と出会い、1955年暮れに仲間5人と独立してCMフィルム製作会社「APフィルムズ」を設立した。 しかし、CMの仕事は来ず、瀬戸際となった半年後に舞い込んだ仕事は、絵本作家ロバータ・リー原作の「The Adventures of Twizzle」(日本未公開)という、安価な15分人形劇TVシリーズ26本の製作依頼だった。その後、彼女原作の「Torchy The Battery Boy」(日本未公開)15分 全26話の人形劇TVシリーズも製作している。 そして、ロバータ・リーが紹介した作曲家、バリー・グレイ原案で、1960年グラナダTV放送「Four Feather Falls」(ウエスタンマリオネット 魔法の拳銃)を製作することとなった。このときの操り人形には、頭部中部に電磁石を内蔵し、台詞の録音テープに直動して、電気信号で唇を開閉させる「リップ・シンクロイド装置」を試験的に使用している。 その後、ジェリーはATV総帥のルー・グレード卿のバックアップを受け、スーパーマリオネーション第1作の「スーパーカー」、英国はカラーTV番組「スティングレイ」、初の1時間人形劇「サンダーバード」などの特撮人形劇で、ヒット作品を発表した。1965年「APフィルムズ」から「21世紀プロダクション」に改名したスタジオは「キャプテン・スカーレット」、「ジョー90」、「ロンドン指令X」の後に、実写作品にも挑戦を始め、「UFO」の終了後、解散。 ジェリーは「グループ・スリー・プロダクション」を作り1972年「プロテクター−電光石火」、1975年「スペース:1999」を製作して、成功を収めた。 「テラホークス」、「ディック・スパナ−」「スペース・プリシンクト」「ラベンダー・キャッスル」など子供番組を製作したジェリーは、現在新作を作る為に活動中である。 |